最近昼の仕事の合間にアニメーションダンスの練習を始めました。理由はありません。
さて長いこと結果が出ていなかっったりして諦める、いわゆる挫折ってやつは自分で自分を信じられなくなることが一つ大きな原因だと思うんです。
他の誰も信じてくれなくても自分が信じてあげられたら自分で自分を応援してあげられるじゃないですか。だけどそれもできなくなる。自分を見限る。そして別の道を行くってのが挫折のメカニズム。
自分が本当にダメで向いていなくてやめるのは納得しているからいいと思うんです。さっぱりきっぱりと次のところで頑張る気にもなりやすいと思う。やりきっているから。だけど、諦めきれないんまま情熱が尽き、燻りだすと腐るんですね。心が。理由も自分以外のものにしだして。自分が原因だと(実力がないって)認められない。
これがまさにぼくで、腐ってる時間ってありました。だけど本当に最近ただ腐っているんじゃなくて熟成期間なんじゃないかって思うようになりました。ウィスキーとかワインとか(酒ばっかだな)。完成に相応の時間を要するもの。
そう思うようになったのは二つ大きな要因があって、一つは絵本の反応、一つは小説の一節。
絵本の話から。
絵本の反応が良かった話は何回かしたけど、ぼくの作品で言えばいつものレベルだと思うんです。今まで描いてきたものに比べて突出しているとは思いません。だから評価っていうのは非常にタイミング的なものでこれは自分でコントロールできる類のものではないんだとはっきり思いました。このことで自分に人を楽しませる才能がないわけではないことがわかりました。これはぼくが自分を信じて応援する理由になります。
※営業力でなんとか“する““仕掛ける“とはまた別の話でね
小説の話。
村上春樹さんの小説「騎士団長殺し」の一節「時間を味方につけなくてはならない」。この小説は画家の話なんですが内容どうこうでなく、この一言が自分の中でリピートでこだましています。時間を味方につける・・・これはぼく今のスタイルでできているって思いました。
自分だけ時が止まった部屋で(悪い言い方をすれば監獄)足掻くような創作活動。手塚治先生の「火の鳥(大和編)」のなかで我王が牢獄に無実の罪で捕まり数年、真犯人が見つかり釈放される時に捕まえてたお坊さんが牢獄の中に気配を感じてギョッとする。捕まってた間に我王が壁に無数の彫刻を彫っていたから。一体一体に魂がこもっていたってこと。
我王って誰に見せるとかじゃなくて、彫りたいから彫っただけだと思うんです。それと暇だから。ぼくも暇だし(おい)創作意欲も強い。今のこの自分の姿勢、環境は応援する理由になります。
以上この2点が自分を信じるに足る理由。信じ続けるには理由がいる。
jon covet