イラストレーターのjon covetです。今は絵を描くことが自分の夢であり生きがいな僕ですが実は昔は違ったんです。真剣に真剣に挑んで壁を超えられなかった夢がありました。足掛け16年ほど自分にできる限りのことはしたつもりだったんだけど1つの結果も出せず届きませんでした。今日は2019年4月30日、 平成最後の夜 (執筆開始当時)つまらない内容かもしれないけど自分の気持ちとしてここに残しておこうと思います。

葛藤と成長の彫金教室時代

電車を乗り継ぎ向かった先は名古屋栄の五丁目。そこに今はないが小さな彫金教室があった。そこの先生は紹介してくれた方と同じ職場で働いていた先輩でその人曰く凄腕とのこと。教室の他にデザイン学校の先生や他ブランドのアドバイザー的なこともしているらしい。 白を基調にした明るい教室で先生の他に男女講師と生徒が数名いた。すでに紹介者から電話が入っており待っていてくれた。まずは1日体験で銀線を五つ並べたものをロウ付けし(溶接)それをリングに加工する。男性の講師に教えてもらいながら木槌を使いコンコン丸め何とか形にすることができた。けしていい出来ではなかったが、だからこそここで早く技術を学び成長したいと思った。

その日は教室でセレクトしてくれた道具一式を買って帰った。今でも使っている物も多いので素晴らしいセレクションだと思う。一番よく使うヤスリはもうツルツルになったので買い換えた。

意外と不器用だった自分にショックの連続

彫金教室通い出したのは成人式の次の日からだった。人生の船出の気分だった。教室ではメイキング(金属加工)を中心に勉強をしていくことになった。先生から手ほどきを受け基本の平打ちや甲丸などを学ぶ。まずはこの基本の技術ができるようになるまで何日か通った。

まず最初につまずいたのは糸ノコ。糸ノコの刃って細くて変な力が入ると簡単に折れてしまう。めちゃくちゃ折って追加で購入しまくった。これが毎回だから折れるたびに情けなかった。刃を替える時に腹筋に本体を押しつ取りかえる。押しつけすぎてもう腹筋が痛くて痛くて。※今は腹じゃなくて机に押し付けペンチで締め付けてます。

あと全然まっすぐ切ることができなかった。どうやっても斜めに切れてしまう。これは呪いのように教室時代最後まで僕について回った。だから折れる回数も多かったんだんね。今はもうほとんど折ることは無い。今もし彫金やっている人で糸ノコ苦手な人がこれを読んでいたら安心してください。続けてれば出来るようになります。

次にヤスリの工程も苦手だった支えている親指まで一緒に削ってしまう、この癖ももなかなか治らなくて血だらけ。作業机にすり板ってのがあるんだけどその板も一緒に削てしまい僕が使い終わった後は形が変わっていた。

ようするに不器用な男として僕の彫金人生は始まった。アットホームな教室だったけど僕だけ黙々と銀と指と板を削っていた。

帰りの電車に揺れながら

帰りが大体夜の9時。地下鉄に向かって歩く。コツもつかめず対して進展もない僕は肩を落としながら帰るのが常だった。電車の入り口付近に立つと中の光で外の景色はあまり見えない。自分の影越しに見える線路の砂利をずっと見ていた。

理想と現実のギャップ

一か月が過ぎると石留なども習い始めた(これも苦手だった)夜の飲み屋のバイトをメインにし平日の昼に毎日通うようになっていた。 いつしか講師にやり方を聞いてその上で先生が確認するという流れになった。先生も忙しいので仕方がないがしかしどうも相性が良くなかった。これはお互いにだろう。僕が確認するたびに、やれやれみたいな感じなのだ。自分が全くできないことを簡単じゃんみたいなノリから教えられる。それでも全然できない僕。困ったな的な感じの彼。その態度に正直面白くない気持ちを持っていた。情けない話だが出来ない事が多すぎてけっこう精神的にまいってきていた。行くのが全く楽しくないのだ。理想と現実のギャップに打ちのめされていた。自分はどうなってしまうのか不安だった。 そこの教室はチケット制だったが数枚残し行かなくなってしまった。

底まで行って開き直った思考

教室で与えられた課題をこなしているうちに自分が作りたい物を作りたいと思う気持ちが強くなってきていた。僕はジュエリーが作りたいわけではなく、ましてジュエラーになりたいわけでもない。僕が作りたかったのはシルバーのストリートアクセサリーだ。どうせ下手で悩むなら自分の好きなのを作って悩みたかった。それでダメなら納得がいく。 もしも僕が教室に通わずにアクセサリー会社で働いていたら同じ理由で辞めてしまっていただろう。三カ月くらいの期間だったが基礎を学べたことを含め最初に教室に行ったのは大正解だった。

オリジナルブランドの立ち上げ

教室を辞めてほどなくアクセサリーとは関係のない会社に就職をした。 僕がやりたいことをするためには僕がやるしかない、帰宅してからの時間を使い独学でやっていくことにした。 そこで大きな机をいただいた。正確には捨てるはずの机を貰ってきた。その机を切り抜き足を高くし彫金机を自作してオリジナルブランド「2space Desgin」を立ち上げた。六畳の自室の二畳分のスペースっていう意味だ。

ここから僕の本当の戦いが始まる。   続く

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事